磯谷博史、小左誠一郎、田幡浩一

Primal Reverberation

Past
Yutaka Kikutake Gallery, Tokyo
2017年4月1日(土)-4月29日(土)
13:00 - 18:00

アーティスト・レセプション:4月7日(金)18:00 - 20:00

Yutaka Kikutake Galleryでは、4月1日(土)から4月29日(土)まで、磯谷博史、小左誠一郎、田幡浩一の3名の作家による「絵」をテーマにしたグループ展「Primal Reverberation」を開催いたします。

 

最初の残響、始まりとしてのリバーブ。絵を見ることは、つまるところそういうことではないでしょうか。画家たちの描く行為は常に原初的なものとしてあり、かつ、それを見る側は結果としての残響しか目にすることができない。その中間は想像するしかない、しかし、その前触れと残響を想像すること、あるいはそれに共感することで、私たちは絵を共有している。それは、絵についてのあらゆる教義を超えた原理的な問題であって、今日性や美術の制度を超えた、絵の存在論として----あまりに愚直だとしても----問いかけるにふさわしいものだと考えます。それは原初的な何かを、残響として、その熱を画面に宿し、空間を、私たちの心を揺さぶることができるだろうか。できるとしたら、その余熱のような画面は一体なんだろうか。そして、それを形作っている中間的な層は一体なんだろうか…?

見ることそのものを彫刻を通して問い続た芸術家・若林奮はラスコーの壁画について次のように述懐している。「最初に人間が絵を描いてから、約二万五千年から三万年以上にまで最近はさかのぼるにしても、その数字自体はあまり意味は持たないだろう。おそらく大事なのは、最初にそのような行動に出た人間の、その時の状況であると思われる。その時のことが、そのまま現在につながっているとは考えられないが、その後人々は絵を描き続けてきたし、現在もそうである」。「その数字自体はあまり意味をもたないだろう」と若林は言う。確かに数字自体は意味を持たない。しかし、時の厚みとしては ― 中間的な層としては ― 意味を持つはずである。つまり、最初に描かれた絵は、そのままではないにせよ、長大な時の厚みをくぐり抜け、今まで続く一連の絵の始まりとしての残響を届け、世界を揺さぶり続けているのである。

したがって、絵をめぐる本展についてこう言える。私たちが見ているものは絵である。しかし、絵それだけではない。そのそれぞれの最初の状況を想像し、一方で残響に耳を澄まし、そしてその間の厚みに、目には見えない世界の振動を感じ取ることである。

想像してみよう。ある一枚の絵が描かれる前と、描かれた後の世界を。一枚の絵が描かれる前と、その後では、この世界に何が起こっているのだろうか。あるいは、一枚の絵を目にする前と、その後では、あなたの中に、何が起こっているのだろうか。

鈴木俊晴(豊田市美術館学芸員)

 

本展は豊田市美術館の学芸員・鈴木俊晴さんをゲスト・キュレーターに迎え、「絵」の魅力について考え深めていくことを企図して行われるグループ展の第1回目となります。皆様のご来場をお待ちしております。

Kouichi Tabata「untitled (gerbera) 」2016

Seiichiro Osa「Untiled」 2017