どんよりとした空と青みがかった灰色の海とのコントラストは鈍い。耳元では風がぼうぼうと鳴っている。地中海の港町を思わせる白い大型ホテルの外壁は塗装が剥がれ、潮風にさらされている鉄はいたるところで錆びている。出掛けに晴れていたからといって羽織るものを持たずに出るとあとで後悔する。真夏だというのに開放的な気分は誘われない。ごろごろとした石で足をけがしないように靴を履いたまま波打ち際を歩く。気に入った貝殻や穴のあいた石を拾ってポケットにしまう。
唇が紫になっている子供達がぶるぶると震えながら海から上がる。海水は冷たい。それでも人は海に入る。どれくらい長く浸かっていられたかを人に自慢するためかもしれない。蛍光色の半ズボンにビーチ・サンダ ルをペラペラさせて歩く観光客に向かって「靴を履け、靴を」と初老の男がすれ違いざまに呟く。海岸に面した大通りには、ネオンを光らせたゲームセンターが賑やかな雰囲気を演出してはいるが人けはない。何かを食べながら歩いていると凶暴なカモメに襲われる。
この国には影がない。いや、正確に言うとすべてが影で覆われている。薄雲のフィルターを通して届く光が照らす世界は淡い。絵画史は地域的だ。天気は人の気分に作用する。人の気分は色彩に反映する。色とは対比だ。風景とは感情だ。あなたが見ている風景はあなたがいる場所だ。自然や人工物を地面と空で挟んだパノラミック・ビューが風景のすべてではない。ミクロからマクロにいたるあらゆる断片、海水も初老も錆びた鉄も、何もかもが等価にガヤガヤとやっている。それらの境界線はひらひらと曖昧で、わたしにとっての風景とはそうしたことを体感することだ。
松﨑友哉
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松﨑友哉は1997年にイギリスに移住し、以来ロンドンを拠点にしています。長年にわたってその地で暮らし制作を行ってきた松﨑は、近年自身の作品における色彩の選択に、イギリスの絵画の系譜(とりわけ1920年代から1960年代にかけてイギリス西南部の港町セント・アイブスで特筆すべき活動を展開したセント・アイブス派)を見出すとともに、イギリスの天候、そしてそこに住まう人々との間で交わされる感情の往還も影響しているのではないかという認識にいたったといいます。
移民としてイギリスで生き続ける松﨑は、イギリス社会における見えざる階級意識やそれに裏打ちされつつ展開される美術の歴史に対して、客観的でユーモラスな視線を持って対峙します(「疾駆」ホームページに掲載の松﨑友哉の連続エッセイ「C.L.A.S.(S)」を是非ご一読ください)が、しかし一方、長年にわたる暮らしのなかで自身に染み付いたその地の風景=ランドスケープ(松﨑はそれを、視覚的に認識するものではなく、場所で受け取る感覚によって生じる抽象的なものであると言います)は、確実に松﨑の作品にも影響を与えています。移民として階級社会のなかにおけるよそ者として存在しながらも、同じランドスケープのなかにいる松﨑だからこそ生み出すことのできる、絵画空間があるといえるでしょう。
20世紀のイギリスのアートヒストリーには、他国のような華やかさはなく、イギリスの典型的な曇り空のようなどんよりとした感覚が通底しているようだとも松﨑は付言します。どんよりと雲に覆われていることで生まれることのない影(影は光があることで生じるとひとまずはいえます)、人の意識にも存在することのない影(それはつまり影しかないというニヒルさにも通じるでしょう)は、ひるがえってランドスケープに転写され、どこかメランコリックな“心象風景”を生み出すにいたるのです。
松﨑自身によって形作られた厚みを持った石膏の両面に描かれ、鑑賞する場所に応じて表情を変化させる作品が連続する空間は、鑑賞者にどのようなランドスケープを伝えるでしょうか?
本展は、2022年にYutaka Kikutake Galleryで開催予定の松﨑友哉と、イギリスを拠点に活動し彫刻的なインスタレーション作品を多数発表し高い評価を得るAnne Hardyとの2人展へと接続されていく展覧会です。
松﨑友哉は、1977年福岡県生まれ。1997年に渡英し、2002年セントラル・セント・マーチンズ・カレッジオブアートアンドデザイン学士課程修了、2004年チェルシー・カレッジオブアートアンドデザイン修士課程修了。現在はロンドンを拠点に活動している。2018年、ピーター・ブレイク、デヴィッド・ホックニー、ピーター・ドイグなども受賞したイギリスで60年続く絵画公募展「ジョン・ムーアズ・ペインティングプライズ(John Moores Painting Prize)」に入選。自身の作品制作のほか、アーティストの視点で展覧会のセルフ・キュレーションやプロジェクトスペースの立ち上げに携わるなど活動は多岐にわたる。近年の主な展覧会に「Crossing」(Hagiwara Projects/2019)、「A creak in the stair」(SIXSECOND/2018)、「Odd Metre」(White Conduit Projects/2017)がある。