Yutaka Kikutake Galleryでは1月23日(土)から2月20日(土)まで、楊博によるギャラリーでの初めての個展となる「Fly me to the moon sequence2: Three MC’s and One DJ」を開催します。
楊博はこれまで一貫してポップカルチャーとその受容に関わる距離感をテーマに作品を制作してきました。実際にはとても遠くに存在する人物や出来事にも関わらず、心理的には極めて親密なものとして迫りくるポップカルチャーを音楽を中心に享受した楊は、ポップスターの肖像やそれらが彩る様々なシーンと自身の生活風景とを混ぜ合わせながら、独特の作品世界を作り上げてきました。
中国の湖北省に生まれ育った楊は2001年日本に移住しました。めまぐるしい経済発展へと繋がる変化の兆しがあちこちに存在していた当時の中国を背景に作家の両親は日本への移住を決断しました。10歳だった楊は、日本の異なる文化的状況のなか、思春期に多くの人が経験したように自身の生活圏を越え出た同時代の様々なポップカルチャーに触れ、ときには歴史を遡りながら文化の在り様を手探りで享受していきました。そこにはダイナミックな世界史の流れのなかにある人の姿があり、そして、青春期を過ごすひとりの人間の姿があります。そのまま日本を拠点にすることを選んだ楊は、“自分がどのような「受容」をこれまで行って来たのかを考えることは、そのまま自身のアイデンティティをたどる過程でもあり”、“自分がそうした文脈によって育てられたことをとても自覚しているがゆえ、自分の経験から拾ったものを作品のモチーフに選ぶことに自信を持っている” と言います。
作品を制作することで自身の受容(憧憬混じりの甘受とも言えるかもしれません)を紐解き、そうすることで各時代の在り様を見つけ出していく。その連続が現代の普遍性へと触れていくことを、楊は絵画を通じて試みていると言えるでしょう。
今回発表される作品は、コロナウィルスによるパンデミックの状況下 “動けないなかで、どれだけ遠くを想像するか” ということをコンセプトに据えており、さらにそれらを映画的に編集された断片の集合体のように提示することで、解釈への余白を生み出すようにしています。楊は絵画の中身に直接的には触れないながら、ある情景を喚起させるようなテキストを書き下ろし展示の一部としてときに用いますが、それぞれの絵画とそこに添えられるテキストを通じて、鑑賞者が様々なシーンを想起し、自身のストーリーを築くことが可能になるのです。
ちなみに、本展のタイトルでもある「Fly me to the moon」は数多くのミュージシャンによって様々にカバーをされてきた名曲ですが、とりわけ有名なのはアポロ計画によっていよいよ人類が月面に降り立とうとしていた1960年代のフランク・シナトラによるカバーです。シナトラのカバー曲が録音されたテープは実際に宇宙船にも持ち込まれ、当時を語る上でも貴重な曲と今ではなっています。
この曲の最後は「Fill my heart with…」という歌詞で締められますが、本展を見た後に鑑賞者は「…」にどのようなことを想像できるでしょうか? 本展に際して楊は、「全ての文化の産物にとって一番遠いところとは僕自身であると思った」と書いています。
楊博は、1991年中国湖北省生まれ、2001年に宮城県に移住。2019年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻油画終了。現在、東京都を拠点に活動。近年の個展に「Heart of glass」(2018年,CAPSULE Gallery,東京)、グループ展に「working / editing 制作と編集」(2020年,アキバタマビ,東京)、「固定される影」(2019年,Yutaka Kikutake Gallery,東京)、「The Course of true love never did run smooth」(EUKARYOTE,東京)などがある。